手仕事を引きつぐ

料理にスパイスや隠し味が必要なように、人生も時に試練や別れが避けられないものなのでしょうか。2015年、思いがけず病(^^)を経て、回復して日常を過ごせる幸せを感謝すると共に、以前より死を意識するようになりました。故人の所有していた材料や道具を受け継ぐことが重なるのは、この仕事を心して努めよと、叱咤激励されているようです。

着物服を作るきっかけとなった出来事をご紹介します。

episode1:

2016年の「着物地の洋服」販売会で使用した着物生地のほとんどが、故Nさん所有のものでした。Nさんの友人・逢坂恵理子さん(横浜美術館館長)のご紹介で、2016年の3月に訪れた瀟洒なご自宅には、大量の着物生地が保管されていました。その中から、Nさんの妹さん、逢坂さんと、ひっくり返すように選別して譲っていただいた着物生地は、どれも手仕事の積み重ねが素晴らしく、小さな穴に継ぎを当てたり、洗い張りを繰り返して、大切に着られてきたものばかりでした。

先人たちの着物に対する想いを受け継いで来られたNさんにはとても及びませんが、同じように洋服を作る身として、この生地を何とかもう一度形にしたいと強く思いました。

episode2:

2016年8月 10日、103歳で永眠した祖母・伊東綱子は、編み物と洋裁に長け、5人の息子家族、大勢の孫、ひ孫にたくさんの洋服を作ってくれました。

海外雑誌を参考に、(フランス語も話せた)祖母の編むセーターはどれも美しい色使いで暖かく、着ていると本当に心地良く幸せなものでした。いつも手を動かしていた祖母の姿に憧れて、子供の頃から針や糸を持つようになり、人形の服などを作っていたことが、今の仕事につながってきたようです。

遺品整理の際に、糸や道具、人台などを譲ってもらいました。小さな鋏と編み針はいつも祖母の傍にあった懐かしいものです。意外にも新しく便利な道具を持っていたり、手帳に残した詳細な記録から、几帳面で合理的だった祖母の姿にも出会うことができました。

着られなくなっておそらく捨てられた子供の頃のセーターたちが、この手帳の中には確かに存在していました。

編物手帳 昭和 28年(1953年)〜